Sunday, April 30, 2006

企業の物作りと観念 People said monopolistic desire was existing

企業が生み出すもの
一般に言って株式会社が提供するサービスと物
法人とも呼ばれてるけど一体何だろう?
普段の生活して手に取る日用雑貨食料品
みんな公ではなく私企業が創ったもの
この世界
企業が企画生産販売をしている物がどれくらい占められてるのか
自給自足など到底不可能な現代で目にあまりしないもの
電気、水、電話、ガス その他のエネルギー インフラ
気付けば
自分でも沢山の企業の力にのっかかってる
資本主義と呼ばれる自由競争の世の中では
消費者と相互関係に於ける健全な市場があるはず
高ければ買わないし安全ではなければ糾弾し避ける
しかし比較のできないもの
独占されたサービス、物にはどうやって対抗するの?
昔、公共サービスには殆ど向上心がない
消費者の願望と反対の方角を向いてる
次第にそれが変わって民間の土壌と争えるようになった
しかしそれまでに気付いた膨大なインフラは絶対的なアドバンテージとなり体勢は変わらない
消費者は不当だと思っても選択の余地がないので
寄らば大樹の陰で気付かないで終わる
諸外国に指摘され初めて気付くケースもあると思う
果たして身の回りにある物でこれはおかしいと思う物があるだろうか わからない
民間でも莫大なシェアを握りそれを盾にいろんな芽を潰してきた企業があったと思う
今回はそれを述べたかった

Friday, April 28, 2006

スポーツしよう satisfaction

スポーツ=運動=競技
巷では色んな物が流行ってるのだが
健康ブームにあやかってスポーツジムが結構にぎやかなそうな
以前から我々の体には適度な運動が必要で
動いてない人とそうである人では加齢時に大きな差が出るとも
わざわざジムやスポーツクラブ通わなくても
軽くジョギング程度散歩程度でも運動にはなる
しかしより楽しみたいのなら何か競技に参加したくならないものだろうか
結果は誰にだってほしい物だと思う
鍛えた体、勲章、名誉、金
一線級ではないと手に入らない物まであげてしまったがスポーツは本来どういう物なのか
ブラウン管の奥では
そのほとんどを団体種目、特に球技に目を奪われつつある
我々は殆どの場合傍観者、観客として参加するスポーツ
他人の結果に一喜一憂して
ベストプレーに感嘆する
そして極めつけが歓声やヤジと罵声だ
自分は選手と同じように傷つきさも闘ってるかのように乗り移る事ができる
ホームではこれが敵に対しアドバンテージになる場合もある
要するに心理戦ナノだが
試合は相手と体からメンタル面に於いてトータルな戦いを強いられる場合もある
ファン一人一人に於いて蔑ろにする事はできない
一流になればなるほどその重みもわかるのかも
殊に注目すればスポーツは微妙にルールを変えている
バレーがラリー制になったとか
卓球が11点マッチになったとか
いまだにインターナショナルとは言いがたい
野球やバスケなどにもルールの改善が必要なのかもしれない
スポーツは昔は国威の発揚として利用され
政策の一部にまでされていた時代もあった
社会主義国では近年まで色濃く残されていたのだが
これからのスポーツは如何に国家と個人を切り離してゆくかが焦点だろう
視点を戻すと
スポーツやりたくてもなかなか近場に場を提供している場所が無いまたは団体が無い
またその競技に体が追いついてゆかない
という方もいると思うのだが
要はこれほどにまで暮らしが豊かになって
参画型の社会が到来してもいいじゃないか
スポーツって本来楽しい物ですよ
とりあえずやってみようがモットーです