Monday, March 12, 2007

波と時間の間で No

昔も今のそんなに意識した事がなかった時間
確かに過ぎている時は何らかの思いを抱いてました
早く終わってくれ苦しい
夢中になったらあっという間だ
なんで時計は左回りなんだろ

特に子供時代の時間というのはとても長く濃く自分の中ではインプットされていて
このまま永遠に子供の侭なのかなと思った事さえありました
幼少期は特に他人のやる事を指をくわえて見ているのがほとんどで決して自分から進んでやるタイプではありませんでした
だから今になって思うのです
もっと早くこれを手にしていたら続けていたら
時間というものは一行的な流れで
もしこうしたらという事が実現しない
ある意味一発勝負な部分もあると思うようになりました
誰でも一生同じ時間が分け与えられたなら多分上手に使ってゆく人もいるでしょう
それは出会っていく過程も必要なきもするんですけどね
話を戻すと
ビデオのまるでスローモーションの様な瞬間を目指しています
誰も立ち入る事のできない完璧な瞬間
それはイメージでもあり誰とも競う事ない自分の純真な気持ちです

時間の一秒の尺は多分心臓の鼓動する時間だと思ってて
時は太陽が落ちる瞬間を綿密に計算してるとか
星が見える時間を調整してるとか
これはまだ資料が不足してるので全くわかりません
でも時間本来の存在って一コマ一コマで分けられるのでしょうか
人生は平面的には記録できてもその存在はどうにもなりません

時間は時に大波のようで自分をあらゆる場所に誘います
ですから波の流れに逆らう事は許されません
今までがそうだったように考えて立ち止まるのは
苦しい流れをよけいに助長するのですから
行動もまた時間と存在の証です


時間の受け取り方は百人いれば百様
最近そう思えてくるのです

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